事務所に着くと所員が一斉に出迎えてくれた。

ボーカルレッスン室は元通りに修復されていてまた使える状態に戻っていた。

この中に入ると事故の現場が思い出される。

一種のトラウマになってしまったようだった。

たまたま事務所に居た、フィズの律子や亜美真美と筆談も交えて会話をすると皆は相変わらず忙しい日々を過ごしているようだった。

所員との交流を終え無期限の活動停止を余儀なくされた千早を待っていたのはデビュー前と同じ憂鬱な毎日だった。

家に帰ったところで家族との会話も無い。

これを機に弟の墓地まで足を伸ばす。

石を磨いて花を添え線香に火を点ける。

今までにあった事、しばらく歌えない事、大切な想いが出来た事など諸々報告した。


<千の記憶と千の言葉>

そして事件から1ヶ月半が過ぎた時

千早の声もプロデューサーの記憶もまだ戻っては居なかった。

何度も病院にも顔を出しプロデューサーの様子を見てきたが良くも悪くも変わりは無かった。

CDを聞きながら部屋で過ごしていると携帯の電子音が鳴り出した。

千早「…(メール?)」
携帯を開き内容を確認する。

送信元はプロデューサーだった。

件名:明日退院します。
本文:いつも面会ありがとうね。
    急ですが明日退院する事
    になりました。結局入院中
    に記憶は戻らなかったけど
   千早の気遣いには感謝して
   ます。もし来れたらでいいの
   で。それと明後日の夜何か
   予定がありますか?是非見
   て貰いたい物があるので空
   けておいて貰えると嬉しい
   です。

千早はすぐに返信した。

退院には駆けつける事、明後日の夜も空けておく事。

プロデューサーが退院するという事は嬉しい反面すこし寂しい気がした。

これでまた逢う時間が減ってしまう。

千早にとってプロデューサーと逢う時間はこれまで以上に大切なものになっていた。

そして逢えば逢う程、大切な気持ちが膨らんで行く様に思えていた。




プロデューサーはメールを確認すると病室の窓に肘をついた。

千早P「結局、戻らなかったなぁ…まあそれでも一歩前進かな?」
千早が退院した後、一つ自分で見つけた癖があった。

歌を思ったり口ずさむ時にリズムを取る右手がある事…




翌日の昼

病院の窓から見る最後の風景をプロデューサーは眺めていた。

少し離れた場所からパトカーのサイレンや車のクラクション、工事現場の掘削機の音が聞こえてくる。

千早P「最後だって言うのに昼間は騒がしい事で…」

プロデューサーが外に出ると美希と美希のプロデューサーと看護婦達が出迎えてくれた。

千早P「あれ?千早の時は居なかったのに…」

美希P「時間が取れなかっただけだよ」

美希「退院おめでとう、プロデューサーさん♪」
美希から小さな花束を受け取った。

千早P「ありがとう、美希ちゃん」

美希P「千早は?」

千早P「どうなんでしょう?」
辺りを見回すと車道を跨いで少し遠くに花束を抱えた千早が歩いていた。

美希やプロデューサーが居るのを見つけると千早は駆けて向かってきた。

3人は反対の歩道に立って待っていた。

サイレンの音がやけに近くに聞こえてきた。

千早は信号が青になるのを待って歩き出した。

プロデューサーが気になってサイレンのする方をみるとパトカー赤色燈は右の通りから見えていた。

パトカー「前のセダン停車しなさい!」

それを聞いた瞬間プロデューサーは花束を投げだして走り出していた。

美希「え?」

合わせて美希のプロデューサーも美希を引き寄せた。

千早が振り向くと猛スピードで車が突っ込んで来ていた。

千早「!?」
衝撃と共に千早の体が宙に浮いて後方に飛ばされていた。

着地の衝撃が走る。

千早「…っ」
痛みは殆ど無かった。

サイレンの音が過ぎ去っていく。

千早は力強く抱きかかえられていた。

千早の隣にはプロデューサーが倒れていた。

既視感が走る。

プロデューサーに向き直って肩を揺さぶる。

千早「…っ!…っ!」
涙が止まらない。

二度も同じ事になってしまった。

力無く首を振る。

いや!絶対にいや!

声には出せなかった。

居なくならないで!傍に居て!

今、この声が届くのなら自分の声が消えてなくなってしまってもいいとさえ思った。

溢れる涙を拭いもせず千早はプロデューサーの肩を揺さぶり続けた。

千早P「んっ…」
プロデューサーが辛そうに顔をしかめた。

眩しそうに目を開けるとプロデューサーは上半身を持ち上げた。

頭を2,3回横に振ると急いで何かを探し始めた。

千早P「千早、千早はっ?」
少し後ろを振り返ると千早が座り込んで涙を零して唇を噛みながらこちらを見つめていた。

プロデューサーは千早を抱き寄せた。

千早P「怪我は無いか?」
プロデューサーの言葉に千早は何度も頷いた。

その度に涙が零れ落ちる。

千早P「よかった…」
更にギュッと抱きしめる力を強めた。

千早もギュッとプロデューサーにしがみついた。

千早P「2回目だぞ?」
千早はウンウンと何度も頷いた。

千早P「幾らなんでも心配掛け過ぎだ」
千早はプロデューサーに向き直って涙で濡れた顔で何度も口を開いた。

ごめんなさい、ごめんなさい…

出ない声で何度も謝る千早の頭を撫でながらプロデューサーは言った。

千早P「2回貸しだからな!」
千早はプロデューサーの胸に顔を埋めながら何度も謝っていた。

再び助けてもらった事、再び危ない目に合わせてしまった事…

少しの間プロデューサーの胸で泣きじゃくっていた。

プロデューサーが生きててくれて良かった…

退院の日に2度目の事故が起こらなくて良かった…

千早P「よいしょっと」
掛け声を掛けて千早を立たせて自分の服の埃を払う。

顔を埋めていた千早がすんと鼻を鳴らす。

千早が顔を上げる。

千早は瞳に涙を溜めていつまた泣きじゃくってもおかしくない顔をしていた。

千早「…………?」
プロデューサーは微笑んだ。

千早「…っ!」
千早はまたプロデューサーに抱きついた。

プロデューサーも千早をきつく抱きしめる。

千早P「ただいま、千早」
千早はまた泣いていた。

嬉しかった。

プロデューサーに記憶が戻っている。

自分の声はダメでもプロデューサーの記憶は戻って欲しかった。

それが叶った瞬間でもあった。

美希達と看護婦達が駆け寄ってくる。

美希「大丈夫っ!?」

千早P「大丈夫だよ」

美希P「本当に大丈夫か?」

千早P「相変わらず、心配症ですね。先輩は」

美希P「先輩って…お前、記憶が戻ったのか?」

千早P「バッチリ!」

美希「あは♪良かったねぇ!千早さん」
千早は人目を気にする暇も無いほどの喜びを噛み締めていた。

千早P「千早?」

千早「…」

千早P「ちょっと離れないか?」

千早「…」

千早P「向こうに行きたいんだけど…」
千早は渋々プロデューサーから離れた。

千早P「ありがとう」
千早の手を握って病院に戻るとプロデューサーは案の定、看護婦達に捕まってしまった。

当然千早も同じように捕まって診断を受ける事になってしまった。

千早はすんなり帰して貰ったもののプロデューサーは大事を取って退院は翌日の夕方に引き延ばされた。



翌日の夜

待ち合わせた通りの時間に千早は病院にやってきた。

病院に着くとプロデューサーが喫煙所で煙草を吸っていた。

千早P「来てくれたね」

千早「…『おはようございます。見せたい物って?』」
プロデューサーはふふーんと意味深な笑みを浮かべていた。

千早P「着いてからのお楽しみだな」
そう言うとプロデューサーは千早の手を取った。

千早は病院の敷地内にある一角の小さな建物に連れて来られた。

千早P「どうぞ。今日は貸切だからね」
中に入ってみるとグランドピアノが目に飛び込んできた。

辺りを見回すとポツンと一つだけ椅子があって他の椅子は片付けてあった。

小さなコンサート位なら出来そうな造りだった。

千早P「千早が退院した後、敷地を散策してたらここを見つけてね。音楽療法とか言うのをやってるらしいんだ」
そう言いながらプロデューサーはピアノカバーを取り外してピアノを準備していた。

千早P「で、無理を言ってこの時間で貸して貰ったんだ。まあ防音施設だから音は漏れないけどね」

千早「…『誰が演奏するんです?』」

千早P「俺」

千早「?」

千早P「弾けるよ?ちゃんと。少しやってたからさ。専門家の先生達には負けるけどね…」
プロデューサーはピアノの椅子に腰掛けた。

千早P「ああっと、その前に…」
プロデューサーは椅子から立ち上がった。

千早「…?」

千早P「俺…千早の事、好きだよ」
千早は自分の耳を疑った。

千早P「歌手としてでも、アイドルとしてでもなく。女の子として…」
その言葉を聞いただけで千早は涙を堪えきれなかった。

声が漏れないように両手で口元を押さえた。

千早P「あ、あれ…まずったかな…終わってからでいいんだ、返事とか」

千早「…」

千早P「千早に聞いてもらえればそれだけでもいいからさ」
千早は小さく頷いた。

千早P「じゃあ弾くぞ、俺が今一番好きな曲を3曲。喜んでもらえたら嬉しいな」
そう言ってプロデューサーは椅子に座りなおした。

<蒼い鳥>

千早の得意曲

緩やかな曲調

歌詞は少しダークで また 力強い 孤独な鳥をイメージさせる



<目が逢う瞬間>

千早の新曲

アップテンポな曲調

この出会いは決して無意味じゃなかったと信じたい…



<鳥の詩>

千早のカバー曲

緩やかながら力強くもある曲調



千早「…っ、すん…っ…」
曲を聴いている最中、千早は涙が止まらなかった。

プロデューサーが自分の歌った曲をどれだけ愛していてくれたかは旋律が教えてくれた。

優しく、丁寧に弾かれていく曲に千早は確信していた。

自分もプロデューサーの事が好きな事…

プロデューサーが自分を大切に守ってくれているのと同じくらい

自分にとってプロデューサー大切な人である事…

今の自分にプロデューサーのいない生活なんて、ありえない事…

プロデューサーがパタンとピアノを閉じる。

千早はプロデューサーに抱きついていた。

千早P「おっと、千早!?」
不意に抱きつかれてプロデューサーは体制を崩したが転ぶのは踏みとどまった。

こんな風に今まで誰かを想った事は無い…

千早は恥ずかしさと緊張と切なさでおかしくなりそうだったがプロデューサーの目をじっと見つめていた。

好き…

そしてそっと目を閉じ、踵を上げた…

千早「好き…
フワリと唇が重なる。

どれ程の時間が流れたろう。

振り返れば数秒の事に違いない。

それでも永遠に続けば良いと思う一時だった。

息をするのも忘れていた唇が淡く離れる。

千早「ン……ぷは」

千早P「……」

千早「…はぁ。うっ…ぐすっ、ひく…すんっ…」

千早P「千早…?」

千早「うぅ…んく、ふっ…」

千早P「千早、声…」

千早「え…ケホッコホッコホッ」
千早はむせ返った。

一ヶ月半もの間、機能を停止していた声帯が追いついていなかった。

千早「わた、ケホッ…し声がコホッコホッ」

千早P「無理するな。喉潰されちゃ困る」
プロデューサーも嬉しそうだった。

徐々に慣らせばまた歌が歌えるかもしれない。

諦めかけていた活動に再開の兆しが見え始めた。

これでまたプロデューサーと一緒にステージに立つ事が出来るかもしれない。

そう思うと嬉しくて仕方が無かった。

そしてこれまで言いたくても言えなかった言葉が言える様になった。

プロデューサーへの気持ち、全部…。

千早「プロデューサー
千早は喉に負担が掛からない様か細い小さな声で想いをまくしたてた。

千早「ごめんなさい、ありがとう。これからもよろしくおねがいします
千早はニコリと微笑んだ。

千早「大好きです♪

千早ストーリー −

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